どうも、場波です。
場所の「場」に「波」と書いて、場波です。
前編から中編其の一、二と渡って送ってきました魔界フェス2024レポートもいよいよ最後となってしまいました。
日々の生活が忙しかったのですが、この最後のレポートを「早く書かなきゃ」というより「早く書きたい」という気持ちで毎日を過ごしておりました。
じゃあなぜもっと早く書かないんだ!という話になりますが、簡単な話で最後のレポートを書いたら、そこでいよいよ魔界フェスが終了となるからです。
魔界フェス2024が終わってしまうからです。
もうとっくに魔界フェスは終わっているのですが、いよいよ終わってしまうと思うとやはり寂しさが漂うもので、そんなこんなでダラダラと1人で自作自演のストライキのようなことをしておりました。
でも今日で終わらせます。
さて、最後のレポートは夜の部「閉会式」です!
いつも通りのほんわかした昼の部を終え、coffee5の片付けをした後、夜の部の会場であるさいき城山桜ホールに到着。
既にリハもほとんど終わってて、本番が近づいていた。
今年の出演者は9組。過去最多の出演者数になった。昨年は6組。6組でもスケジュールがキツキツで、確か昨年終わってから「次は出演者数もう少し減らしてゆったりやりたいな〜」と、そう思っていた気がする。それが蓋を開けてみたら9組。3組も増えてる。
何故そうなったかと言うと、魔界フェスとの繋がりが強いいつもの皆さんに声をかけるのはもちろん、昨年観たライブの中でとても感動したライブや感動体験を与えてくれた人などにその都度「魔界フェス出てください!」「魔界フェス出てください!」と声をかけていたら、結果的に9組になってしまった。
これはただただ俺の計画性のなさを露呈してしまっただけの結果なのだが、おかげでこの9組による最高の閉会式になった。
その9組の出演者のライブを、魔界フェスとその人の物語とともに振り返っていきたいと思う。
1、有限会社フィンガーテクニック
魔界フェス初登場の彼ら。
といっても完全な初登場ではない。昨年12月に行われた魔界フェス〜廣島死闘篇〜の夜の部、「公開オーディション〜魔界フェスへの道〜」にて見事グランプリを掴み取り、本拠地魔界フェスへの切符を手に入れた。
と、物語としては完璧な聞こえなのだが、俺は佐伯と廣島がいかに遠いかもよく知っているし、そんな遠い佐伯まできてもらうことに結構申し訳ない気持ちもあった。
それでも距離をものともせず有限会社フィンガーテクニックは佐伯に来てくれた。
オファーを快諾してくれてからというもの、有限会社フィンガーテクニックから熱心な質問を度々受けた。
「1日のスケジュールはどうなっているのか」「機材はどんなものがあるか」「宿に風呂はあるか」「自作のペアとはどういう意味か」などなど…。
返答するたびに「変なことに巻き込んでゴメン」という気持ちでいっぱいになった。
今回、有限会社フィンガーテクニックには一番手をお願いした。
それは、去年の魔界フェスから今年の魔界フェスまでの間、廣島で2回魔界フェスが行われたので廣島から佐伯へ、それこそ聖火を繋ぐような幕開けにしたかったからだ。
しかも誤解を恐れずに言うと、有限会社フィンガーテクニックのバカバカしさが夜の部を始めるにあたって必要だと思ったからだ。
期待通りのライブをしてくれて、最高だった。
MCほんと最高。
あとキーボードスタンドを俺が持ってくるの忘れて床で弾かせてしまったけど、キーボードの彼の風貌と何かの職人のように座って弾くのがマッチしてて、忘れて良かったとさえ思えた(すみませんでした)
実は有限会社フィンガーテクニックとはまだゆっくり話せたことがなくて、いつかゆっくり話したいと思う。
笑顔の素敵な青年であることは間違いない。
帰り際、有限会社フィンガーテクニックはとても楽しかったと言ってくれた。
色んな刺激も受けたようで、またさらに面白くなってほしいし、そのライブを見たいなと思う。
本当にありがとう!
また廣島か佐伯かどこかで、どこでも会おう!
2、ヒライマサヤ
ヒライさんと初めて会ったのは2015年3月。長野の岡沢じゅんくんがやっていたバンド「ぐっとクルー」のライブを佐伯でやることになり、じゅんくんとヒライさんが仲が良かったということで、当時熊本に住んでいたヒライさんに連絡を取り快くライブに出てくれることになった。
それは俺が企画した初めてのライブイベントだった。
あの日の気持ちは今でもまだ覚えている。
形容しがたいほど幸せな気持ちだ。
それからヒライさんは熊本から出てどこかに移住するということになり、その中の候補に佐伯もあったらしい。
「佐伯どうかな?」と聞かれ、「ヒライさんが住んでくれたらこんなに嬉しいことはないけど、空港が遠いのでやめたほうがいい」と答えた。
今思っても多分間違ってない返答だと思う。
結局ヒライさんは別府に移り住み、それからもちょくちょく佐伯で一緒にライブをするようになった。
ヒライさんは1人で歌うのはもちろん、色んなバンドをやっていたのでとても忙しそうにあちらこちらに行っていた。
そんなヒライさんが佐伯に来てくれる時間がとても楽しみだったし、実際楽しかった。
俺はcoffee5で歌っているヒライマサヤを観るのが大好きだ。
2人組時代のサイキシミンが一度解散した時は心配して電話をくれたりもした。
ヒライさん主催のライブにサイキシミンを呼んでもらえたりもした。
ヒライさんのイベントのためなら!と思って、全て全力以上でやってきた。
ある時、そんなヒライさんから「魔界フェス出たいんだよねぇ」と言われた。
めちゃくちゃ嬉しかったけど、タイムテーブル的に難しかったこともあり、「時間的に無理そうです〜すみません!」とお断りを入れたのだけど、もう一つ理由があった。これはヒライさんにはその時は伝えなかったけど。
その当時の俺は魔界フェスの夜の部を純粋な音楽を鳴らすイベントにする勇気がなかった。
いかに自分が大好きな人でも。
俺にはテレビに映らない人のオリジナル曲にはお金を払うことはないとキッパリ言われて傷ついた過去があった。
そんな、ただでさえ音楽の根付いてないこの街で、小さいながら曲がりなりにもやってきてようやく形になり始めたのが魔界フェスだった。
ヒライさんのライブ観ればサイコーだなんてことは誰でもわかるだろ!という思いは根底にもちろんあるけど、「魔界フェスにヒライさんが出て、ヒライさんの音楽が否定されてしまうことの怖さ」がどうしても頭から抜けなかったのは事実だ。
でもそれから時が経ち、奇抜なだけではない、純粋な音楽を鳴らす人たちも出てくれるようになった。
”それ”をやる勇気が俺にも少しずつ出てきた。
そんなこんなで2024年、魔界フェス唯一の心残りだった「ヒライマサヤ魔界フェス出演」を実行しようと思い、忘れもしないけど2023年12月16日、佐伯でのライブの打ち上げをしていた居酒屋ひかるでオファーさせて頂いた。
快諾してくれて「ついに俺も魔界フェスデビューかぁ〜」なんて言ってくれて嬉しかった。
そして、魔界フェス2024のヒライマサヤのステージ。
「紅茶の歌」から始まった。
これはもう間違いなく、前にヒライさんの歌で一番好きだと伝えたからこの曲を選んでくれたんだと思う。
でもヒライさんの曲で一番なんて本当は決められなくて、日替わり定食のようにその日その日に合った歌がヒライさんにはあって、その日は「紅茶の歌」って答えただけだったかもしれないけど、そんな小さなことをヒライさんは覚えてくれていたんだと思う。
そこからはもうベスト盤ヒライマサヤみたいなライブの内容であまりにも最高だった。
純粋な音楽を魔界フェスで届ける自信がない。
当時の俺はそう思っていた。
でも魔界フェスを何度もやってきて、「白塗りするからこそ裸になれる」という魔界フェスのテーマのようなものを考えれば、ヒライマサヤの剥き出し素っ裸のロックンロールこそ魔界フェスで鳴らすべき音楽だったんだと今ならそう強く思える。
ヒライさんは本当に終始楽しそうにしてくれていて、ヒライさんと魔界フェスをできて本当に良かったと思った。
………。
訂正があります。
どうしても熱が入りすぎてしまって、全出演者これくらいの文のレポートになりそうなので、2〜3人ずつに分けて投稿していきます。
これを「後編①」とします。多分④か⑤までいきます。
大変申し訳ございませんが、魔界フェスまだまだ終わりません。
最後までお付き合いよろしくお願い申し上げます。
~~~後編②に続く~~~