今回は僕が20代の頃熱中していたことについて書いていこうと思います。
20代の頃はクラブイベントなんてやってまして、そのクラブイベントをDIYした時の話。
高校を卒業し、横浜で大学生活をすごし、2005年佐伯に帰ってきたんですが、帰ってきたのはいいけど当時は本当することがなさすぎてただただ焦る日々を過ごしていました。
この当時(2005年頃)若者が楽しむ娯楽といったらパチンコとカラオケくらいで、若い男子が集まれば、パチンコの話、車、単車の話を永遠と話ていて楽しいんだけど、 何かずっと違和感を感じていた。
佐伯に帰りたくて戻ってきたのに、戻ってからは逆に東京へツキイチで遊びに行くという都会へ未練タラタラな生活を数ヶ月送っていました。
とにかく何をやってもうまくいかない。そんな時期だった。
そこで見かねた友人がフットサルをしようと誘ってくれ、友人が作ったフットサルチームに入り、毎週金曜日・華金の夜はフットサルをして過ごすようになったが。
そこには僕と同じように大学を卒業して地元に帰ってきて悶々としている友人たちがいて、その友人たちと過ごす金曜日の夜は楽しくて、当時の僕にはなくてはならない場所となっていった。
毎週集まり一緒に過ごす時間が長くなるにつれ仕事の話、趣味の話、音楽の話といろんな話をするようになり、そのうち何かやってみたいと思いついたのが大学生の時に一番煌びやかな世界に感じていたクラブ。DJやダンサー、パフォーマー、オシャレして踊りあかし、過ごす場所。
その当時そんな場所は佐伯にはないし、自分たちでも佐伯でなら作れるんじゃないかという思いが高まりその友人たちと、一夜限りのクラブイベントをDIYしていく計画がスタートした。
今思うと全てはここがスタートだったんだなと思う。
このイベントを開催したことによって佐伯にあるものを前向きに捉えることができ、なんでも佐伯ならできるし、なければ創ればいいんだと自分の中でパラダイムシフトが起こった出来事だった。
そもそもなぜ、一夜限りのクラブイベントを開催しようという考えに至ったのかというと、佐伯では昔からイベントをDIYする文化があって。
僕たちが中学・高校時代(1995〜2000年あたり)ライブハウスもなくバンドとかやってる連中は公民館や体育館などを借りてライブを開催していた。
区長さんへ場所を借りて、自分たちでチケットを作って、友達に売り捌いてライブを開催するということが行われていた。
特定の学年がやっているというよりか、先輩たちから代々やり方を受け継ぎながらやっていた。
そういったこともあって学生の延長的な感じで始まったクラブイベント作り。
【その2】へつづく