「文学」と聞くとどこか儚く美しく、叙述的な、日常とはかけ離れたものと感じていた。たしかに、そういう一面を持った文学もあるのだろうが、今日、小野正嗣氏の言葉の端々から受け取った「文学」とは、もっと生々しい「生きる」という情熱の塊のようなイメージを持たずにはいられなかった。
それぞれの著者が生きた時代の背景にある鬱屈とした感情や言葉にならない声、時代に押しつぶされた声なき思想を言葉に託して、時に抑圧され、時に人々の心を開放してきた、破壊的な行為とは一線を画した活字による社会への抵抗を文学に見た。
佐伯市出身の小野正嗣氏が芥川賞を受賞した九年前の祈り。この作品もまた、彼が高校時代までを過ごした佐伯市蒲江町での出来事や出会ってきた人々との何気ないやり取りが時代を越えて活字へと昇華していったのだろう。その文字の端々には、今まで私が見聞きした文学とは違う、ふるさと佐伯の独特な文化や言い回し、人間像や面白おかしいおいちゃんたちの息遣いさえ感じる気がする。
小野氏は、佐伯市出身であるということを大学生の中頃までは恥ずかしいことだと感じていたという。しかし、大学時代の2つの出来事が「蒲江」という小野氏の人生背景に君臨する絶対的価値に気づかせた。
その1つは、小野氏が大学の講義中、とある文学表現にあった「海」に対する表現を聞き、彼が高校を卒業するまでの生活の中に当たり前に、というよりもそこに海があると感じる必要もないほどに身にに存在していた「海」と、文学の「海」の違和感を説明した際に、講義を担当していた教授が非常に面白いと評価をしてくれたこと。
そしてもう一つは、大学に通う多くの学生がある種「均質的」な人生背景を持ち、均質化された価値観や考え方を持っている中で、小野氏が蒲江町という誰も知らないような田舎から上京し、均質化された学生たちの中では異様とも言える背景を持つこと。その2つの価値のギャップがぶつかりあったときに生み出される表現には、想像できない価値が生まれるだろうと語ってくれたことだという。
参加していた立命館アジア太平洋大学のH君は、自分自身も諸外国の同級生や帰国子女、海外留学経験を持つ仲間たちの前で自分が「佐伯出身です」と答えることに強い恥じらいを感じることもあったが、これからは胸を張り、「佐伯出身です」と答えたいと感想を述べていた。
小野氏が語る文学には、今まで私が知る由もなかった文学の持つ生々しい熱量が存在した。そして、自分自身にもそういった熱量を発し、これからの時代を切り拓くために文字や活字、文学的表現を持ってこの町のためにできることがあるんではないか??とさえ、思わせてくれた。
<<小野正嗣>>
大分県蒲江町(現佐伯市)出身[1]。大分県立佐伯鶴城高等学校から一浪した後、東京大学文科I類に入学するも法学部には進まず、教養学部比較日本文化論専攻に進学、卒業。同大学院総合文化研究科言語情報科学専攻博士課程単位取得退学。マリーズ・コンデを論じた博士論文でパリ第8大学Ph.D。
1996年、新潮学生小説コンクールでデビュー。2001年、「水に埋もれる墓」で第12回朝日新人文学賞受賞。2002年、『にぎやかな湾に背負われた船』で第15回三島由紀夫賞受賞。2003年、「水死人の帰還」で第128回芥川龍之介賞候補。2006年に東京大学教養学部助手、2007年に明治学院大学文学部専任講師に就任(現代フランス語圏文学)。2013年准教授。2014年立教大学文学部文学科文芸・思想専修准教授、2016年教授、2016年より、放送大学客員准教授。2019年より、早稲田大学文化構想学部教授。
2008年、「マイクロバス」で第139回芥川龍之介賞候補。2012年から朝日新聞書評委員。2013年、「獅子渡り鼻」で第148回芥川龍之介賞候補、同年、早稲田大学坪内逍遙大賞奨励賞を受賞し、『獅子渡り鼻』で第35回野間文芸新人賞候補。2015年「九年前の祈り」で芥川龍之介賞受賞。
2018年より、NHK放送『日曜美術館』にキャスターとして出演。