どうも場波です。
場所の「場」に「波」と書いて場波です。
この度は魔界フェス2024、本当にありがとうございました。
魔界フェスが終わってしまって、寂しくてショボーンとしていました。
そしてまだ魔界フェス2024は何だったのか、整理できていません。
ちゃんと向き合って、ちゃんとケジメをつけれるようにと思って、文章を書くことにしました。
思えば、実はここ数年の魔界フェスは自分にとって楽しさはもちろんあるけど、それと同じくらい苦しさもあった。
恥ずかしい話、その大部分は毎年頭を抱える資金集めです。
運営が下手なだけなんだけど、本当に毎年赤字でやってて、最初は赤字も笑って乗り切ることができたんだけど、流石にそれが1〜2年前くらいから笑えなくなってきた。
でも上手いやり方もわからないし、毎年同じようなことしかできない自分にがっかりしながら、頑張ってきたつもりだった。
それが少し辛くなってきていた。
あとは自分の企画力の無さというか、毎年昼の部は違う内容を考えるので、もう新しい面白い競技なんて思い浮かばなくて、それも凡人であることを突きつけられるようで苦しかった。
楽しかった魔界フェス2023だったけど、その苦しさを最高潮に感じた年だったように感じる。
でもここで、大きな転機が訪れた。
それは「魔界フェス〜廣島死闘篇〜」の開催。
広島のゴトウイズミさんが「魔界フェスを広島でやろう!」と言ってくれたことから始まったけど、実はイズミさんもそこまでやる気じゃなかったらしいけど、カシナポhakuさんから「イズミさんが広島で魔界フェスやりたいって!」と俺に伝言してくれて、大喜びで俺が飛びついて…とそういうボタンの掛け違いみたいな状態から始まった。
廣島死闘篇に向けて、イズミさんと夜中にたくさん打ち合わせをして、それを形にして…とても貴重な経験になった。
イベントとはこうやって作るんだということを沢山学んだし、廣島のゴトウイズミ流のおもてなしの凄みに圧倒されて、本当に感動した。
広島のみなさんが「魔界フェス楽しかった!」と口々に言ってくれたのも本当に嬉しかった。
そして、さらに今年5月にイズミさんが佐伯に遊びにきてくれるというので企画した「ひらけ!ゴ魔」。
最初はイズミさんに観て楽しんで貰って、それからライブをしてもらおうと思ったけど、多分イズミさんが喜ぶのはそういうことじゃない気がして、みんなで打ち合わせして頭を捻って考えだしたのが「笑っていいとも!」のパク…オマージュである「ひらけ!ゴ魔」だった。
イズミさんにもテレフォンショッキングやって貰った。
実はこの日初めてイズミさんのアコーディオン弾き語りを観たのだけど、この夜は本当に泣かされた。最高の夜になった。
そして、9月の「魔界フェス廣島」。
イズミさんの誕生日企画として、イズミさんの考える魔界フェスを廣島でやるという企画に呼んでもらえた。
実はこの前にサイキシミンのシュートがバンド活動を休止するということで少し色々あって、それで行けるかわからないとイズミさんに伝えていたが、親身になって色々話を聞いてくれて、アドバイスもしてくれて、そしてシュートの休止前ラストライブに大分まで駆けつけてくれた。
この時期俺はこのシュート騒動に結構な体力を使っていたので笑、本当にありがたかった。
そして、3人のサイキシミンになって魔界フェス廣島に参加させてもらった。
イズミさんがサイキシミンのためにクアトロでやってくれたと勝手に思ってる。
やはりイズミさんの作るイベントは凄くて、準備から企画から段取りから本番の流れから何から本当に凄かった。
俺には到底できないものだと思った。
打ち上げではイズミさんが乾杯の挨拶で「自分の誕生日に、お金とか仕事とか関係なく一番やりたいことをやろうと思ったら、それが魔界フェスだった」と言ってくれて本当に嬉しかった。
俺はそんな魔界フェス廣島に行ってからやっと気づいた。
俺たちがいつもやってる魔界フェスも俺たちにしか作れないんだ。
同じ「魔界フェス」というイベントを全く別の2人が企画してやるとこんなにも違うものになるということ。
「お前はお前の魔界フェスをやれ」
そう言われている気がした。
ちなみに魔界フェス廣島での1番の衝撃、それは「ねこ虫」。
ねこ虫こそ一番の魔界でした。
長くなったけど、そんなイズミさんとの3つのイベントを経て、俺はすっかり今年の魔界フェスをやる気になっていた。
まるで一年目とか二年目の魔界フェスくらい楽しくなっていた。
そして今年はイズミさんも初めて佐伯の魔界フェスに来る!
魔界フェス2024が今、始まる…
~~~中編其の一へ続く~~~