大分県佐伯市産ロックンロールバンド「サイキシミン」のボーカルギター、大谷慎之介が自身が書いた歌詞をインスピレーションに、写真で切り取り物語を紡いでゆく歌詞×写真×短編物語。
その名も「歌い出すアルバム」。の第2回目。
私は今、部屋の真ん中に胡座をかいて座っている。
じっと目を閉じて、耳を傾けている。隣の部屋から聞こえる男女の話し声に。
話し声とオブラートに包んだが、つまり喘ぎ声だ。最初の方こそ壁に張り付いて壁一枚向こうから聞こえる音声で二人の様子を伺っていたのだが、ふと“今の姿を母が見たらなんと言うだろう?”なんて考えてしまったがために、そういう気分ではなくなってしまい、どうしたもんかと部屋の真ん中で胡座をかいて座っているのである。
一体どのくらいの時間がったったのか。
手持ちのアコースティックギターを少し弾いてみたりもしたが、それでもとなりの喘ぎ声は止まず、むしろセッションしているかのように盛り上がりを見せている。どれくらい盛り上がっているかというと、レミオロメン『3月9日』の「新たな世界の入り口に立ち〜」のところくらいには盛り上がって来ているのではないか。
気にしないようにしようと思えば思うほど、耳に入ってくる喘ぎ声。
私は次第に「愛」について考えるようになった。
愛とはなんなのだろう。今隣の部屋で行われているものが愛なのだろうか。そうであるならば、私はまだ愛を知らない。
愛についての歌だってたくさんある。今日テレビで見たあの歌ひどかったな。誰だっけ、えーと、ナントカ…ティライミ?…何ティライミだったっけ?まあ、いい。とにかく、今の日本のテレビで流れる歌の中に信用できるものは一つもない。好きだとか愛してるだとか、日本一のバカにもわかるような歌詞を書いてくれとレコード会社から頼まれたのかと思うくらい陳腐な言葉ばかりが並んでいる。
かの有名な文豪、夏目漱石はその昔“I love you”を「今夜は月が綺麗ですね」と訳したらしい。これはこれでカッコつけすぎで笑ってしまったが、表現の面白さ、素晴らしさとはそういうところにあると思う。
隣の部屋は今、一番を歌い終え、間奏を経て、二番に入ろうとしていた。
実は私にも告白された経験くらいある。
私が確か高校3年生の時だった。相手は同級生で女子柔道部の主将だった。私より身長も体重も大きな彼女は全国大会で優勝したら私に告白すると決めていたらしく、見事優勝。告白への切符を手に入れた。
彼女は私を見下ろしながら「ずっと好きでした」と告白してきた。私は断った。彼女自身に問題があったわけではない。むしろ背が高い女性は好きだし、顔も気が強そうで私好みだったし。でも、なんとなく生物として彼女には勝てない、強くもなく何者でもない私に彼女は不釣り合いだと自分で決めつけて断ることを選んだ。彼女のあれは愛だったのだろうか。私にはわからない。
隣の部屋のレミオロメンは二番のサビを歌い始めている。
「母の愛は山より高し。父の愛は海より深し。」
小学生くらいの時の私に、母はこの言葉を教えてくれた。母は「どういう意味だと思う?」と聞いてきた。私は「お母さんの愛は山みたいに見えるから。お父さんの愛は海の底みたいに見えないから」と答えた。母はとても満足そうにしていた。我ながら親孝行な答えだと今でも思う。
思えば私には生まれてこのかた不幸なことなど何もなかった。優しい母に普通の父。特に窮することもなく平凡な中流家庭の一人っ子として大切に育てられた。これが私には大きなコンプレックスだった。それが理由で私は音楽をやめた。
音楽を作る上で、身の上の不幸話は最高のスパイスになることが多い。そういう人間の作る音楽には説得力がある。貧乏な家庭に育ち、学校では先生と喧嘩し、屋上でたばこをふかしていたやつのロックンロールと、温かな家庭でぬくぬくと育ち、学校教育に対して何の不平不満も感じず、屋上で水筒に入ったお茶を飲んでいるやつのロックンロール、どちらが信用できるだろうか。
不幸なことに、私には不幸がなかったのだ。私のロックンロールなんて、もはやポップだ。いやそれよりもっとダサいポックだ。ポックンロールだ。
隣のレミオロメンの3月9日は最後の「ラララ」に突入していた。
やけくそになった私はアコースティックギターを手に取りAコードを抑え力一杯弦を叩いた。アコースティックギターから「バキッ」という音がしたがどうでも良かった。Aコードだけをジャカジャカかき鳴らしながら大声で歌を歌った。
「ポックンロール」 作詞・作曲 大谷慎之介
「明日を信じて進んでいこう
明けない夜は絶対にないさ
どんなに悲しみに飲まれても
僕は君だけに歌を歌うよ」
ポックンロール 歌って案外
ポックンロール 軽いんですね
「愛する君を幸せにする
もう誰も目に入らない
誰も目に入らないよ 本当に
本当に入らないよ 目に 本当に」
ポックンロール 愛って案外
ポックンロール 柔軟ですね
ポックンロール 人って案外
ポックンロール 正直ですね
ポックンロール 僕これでも
ポックンロール いい奴ですよ
歌い終えると隣のレミオロメンが「ドンッ!」と壁を叩いてきた。
あぁ、思い出した。
あいつの名前はナオト・インティライミだ。