なかまち商店街 昭和

ある店主の夢への軌跡 vol.3


会場はイベント用に設えた空間ではなく『なかまち商店街』の一角。
フェア中だからこそ知って欲しい、この場所で開催する意味。
お店が歩んできた歴史と今。
掘れば掘るほど出てくる思い出。
素敵な空間には祖父母から受け継がれた道しるべがありました。

この連載は2021年10月22日から10日間開催される【手紙舎フェア+kata kata展 in 佐伯】をより多くの人により深く楽しんでいただくために始まった連載企画です。
第一回目 『私と手紙社との出会い』
第二回目 『手紙社と手紙社の部員』

こんにちは!
なかむらかずみです。

第三回目の記事はフェアの準備に大忙しな共子さんを捕まえてお店やなかまち商店街と共子さんのこれまでのあゆみをお聞きしました。

フェアの具体的な内容や魅力を書くべきかなと思っていたのですが、フェアで訪れる人が多いからこそ知って欲しい、共子さんやお店や仲町商店街のこれまでのあゆみや歴史、そしてこれから・・・そんなことを書き記しておこうと思いました。

共子さんの営むライフスタイルショップ『La vie douce』(ラヴィドゥース)は、佐伯市の中心部、なかまち商店街の一角にあります。

なかまち商店街について地元の人に話を聞くと
「昔はいつ行っても人がたくさんおって賑やかやった・・・」
「夜市の時は肩がぶつかりよった」
「なかまち商店街通って、寿屋(2002年に閉店した百貨店)行くのが楽しみやった」と口を揃える・・・

現在は見事なシャッター商店街。

そう、ここなかまち商店街も他の地方のまちの例に漏れず、時代の変化に大きな影響を受けた商店街です。
人口減少・産業の変化・車社会の発達・・・そんな波に押され、現在のこの風景になったと言えます。
誰のせいでもない、ただの『時代の変化』というにはノスタルジーを感じずにはいられない哀愁漂うシャッター街。
そんな商店街の一角に、不思議なほどにピカピカと輝く場所が今回のフェアの会場です。


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今日も素敵な音楽が流れる店内。開店前にお邪魔しました。

なかむら(以下:な):こんにちは!

共子さん(以下:共):こんにちは〜!

な:今日は共子さんの歴史知りたくてやってきました!

共:えへへ、そうだろうと思って、こんなものを用意していました。

(そう、フェアの話を持ちかけられた時、私はこの連載をただの宣伝にしないぞ、と思い、街や人に興味を持ってもらうきっかけにできたらいいなと思い、共子さんに「フェア以外のこともたくさん書かせてください!」とお願いしていたのです。最初は照れ気味だった共子さんも段々ノリノリになって、写真をわざわざ出してきてくれるほどに)

まずは共子さんが幼稚園児だった頃。

共:歳の離れた姉と兄、そして私の3人兄弟です。この頃は、幼稚園で出る脱脂粉乳が苦手で、よく登園拒否をしていました(笑)この顔は憂鬱な表情。

な:かわいい。脱脂粉乳ってそんなにまずいんだ。笑
La vie douce は家具屋さんの一角にありますよね。家具屋さんはお兄さんが何代目ですか?

共:3代目です。おじいちゃんが1947年5月に、家具屋さんを始めたんです。基本は家具の産地・福岡県大川市から家具を仕入れていたのですが、その頃は、佐伯市内でも家具を作っていて、それらを仕入れてお客さんに合った家具を販売するのがおじいちゃんの仕事でした。佐伯木工っていうのがあって、そこでも作ってもらっていました。

な:1947年ってことは戦後2年で起業ってことだ…。そういう時代だったとはいえ、想像するだけで背筋が伸びますね。

共:開業当初、梅田家具店はなかまち商店街の中ではなく、ここから徒歩10分くらいのところにあったんです。

な:じゃあなかまちには移転してきたってことですね?

共:そうそう、その頃のなかまちって言ったら商売人からすると憧れの土地で。

お店の前で。こちらは共子さんのお姉さんとお母さん。昔からアーティストさんの個展をしていた(写真右)

な:「なかまち商店街にお店を出せたら一人前の商売人」みたいな?
明確な目標。なんだかいいですね。
共子さんとしては、おうちが家具屋さんってどんな感じなんだろう?

共:もう私は生まれた時からだからね〜。なかまちにお店があるっていうのは、羨ましがられたけど、私は逆にみんなにジェラシー感じてたよ。昔は毎週土曜日に夜市っていうのをしていて、学校の友達は道中で待ち合わせしてなかまちに来るんだけど、私の家が終点でしょ?道中が楽しいのに!って。笑

「特価市」と書かれた看板が賑やかさを増しているなかまち商店街。1975?

な:確かに!それはあるかも。
昭和の時代って、個人で商売をしている人がちゃんと潤っていて、お金がまわっていたってイメージがあるのですが、家具屋さんはどうでした?

共:そうだよね〜今に比べたら旅行も結構行ってたしね。家族の人数が多い分、動きやすいというのはあったかな。
おばあちゃん達がお店番してくれるから私たちはちょっと空けても大丈夫だったり。姉と兄の時代は万博もあったからな〜。あとは商店街が元気だったからなかまちでハワイに行ったりしてたよ。

な:経済的な理由以外にもなんだか豊かな時代ですよね。

共:やっぱりね、賑やかな時代だったよね。それゆえのトラウマというか嫌なこともあったけど。
店舗兼自宅ってなると、お店のすぐ裏が家だったから通りから住居が近くて、良い意味でも悪い意味でもいろんな人が店内に入って来て、別に事件があった訳じゃないし、基本はお調子者だったから大丈夫なんだけど、過敏になっちゃって2階から降りれない時期もあったな〜。

な:末っ子って上の子達に揉まれて強いイメージがあるけどちゃんと繊細な心を持っていたんですね。

共:末っ子って言っても姉が10歳上、兄が7歳上だから、ほとんど姉と兄のおもちゃ状態だったよ。面倒も見てくれるけど、ちょっとしたいたずらも沢山しかけられました。今でも忘れられない思い出が2つ、3つ…。笑

な:共子さんのことが可愛くて仕方なかったんだろうな〜

お祭りの様子。こちらを向いているのがお兄さん。

そんなお姉さんは旦那さんの仕事の関係で現在アメリカ・ボストンに。お兄さんは梅田家具店を継いでいます。

な:お兄さんは、元から梅田家具店を継ぐつもりだったんですかね?

共:う〜ん、親の気持ちが大きかったかな。おじいちゃんの代からしているから継いで欲しいという思いかな。
その頃はまだ、家を継ぐのは男、という考えがあったりして。
兄は東京でシステムエンジニアをしていたんだけど、30代の時に佐伯に帰ってきて梅田家具店を継ぎました。

な:お兄さんはどんな気持ちで帰ってきたんだろう?

共:う〜ん、どうなんだろう。わからないけど、自分のやりたいことを続けたい気持ちもあったんじゃないかな〜。
わからないな〜。でもインテリアは好きだし、今は楽しんではいるんじゃないかな。

な:お店覗くと、ちゃんと家具好きな人が経営しているんだなってことがわかる、こだわりと愛のある店内ですよね。お兄さんが帰ってきた時には、今のLa vie douce部分も家具屋さんだったんですか?

共:そうそう、今のLa vie douceと梅田家具店のスペースに加えてその向かいにもう一つ建物があったの。そこも梅田家具店。3年くらい前まであったんだけど老朽化していて、向かいの建物は解体しました。

な:なかまち商店街の通りを挟んで両側が梅田家具店だったんですか。すごいですね!
(…解体したことはマイナスなことではなく、梅田家具店を続けていくための選択作業だったんじゃないかと思った、私は、勝手に。)
共子さんが佐伯に帰ってきたのはいつでしたっけ?

共:2003年だから、18年前だね。当時、前職のアパレル会社を辞めて東京でバイトとかして暮らしていたの。東京は刺激にあふれていたし人脈も広がってすごく楽しかったんだけど、ちょうど新しい家を探していたタイミングで母から「佐伯に帰ってきて共ちゃんのお店やってみない?」って話があって。

な:お母さんはどんな意図でその話を出したんだろう?

共:梅田家具店として、家具だけだとどうしても日常的にお客さんの出入りが少なかったり、日本の建物の作りや事情も変わってきた頃だったから、日用品とか気軽に買えるものを扱って、お客さんの出入りを増やしたいっていう意図はあったんだと思う。
ちょうどその頃、「ライフスタイルショップ 」というのが流行り始めた頃で、母が知り合いから「やってみたら?」とアドバイスをもらって。その知り合いが「やるなら30代の店主がいた方がいい」って言ってくれて。
母は「それなら共子がいる!」って思ったみたいで、そのまま帰ってきてLa vie douce を始めることに。笑

な:その当時って、なかまち商店街は今みたいな状況?

共:今よりはまだもう少しお店も開いてたけどさっきの昔の写真ほどはなく、どちらかと言うと今の状況に近かったなぁ。

な:お母さんはきっと「お店がここにあるから」ということを前提に話をしてくれたんだとは思うけど…
本当に商売をしようと思ったら共子さんが帰ってくるタイミングで、なかまちではなく、もっといい立地での出店の話が出たりしなかったんですか?だって…めちゃくちゃおしゃれだから、なんか今のなかまちにはもったいないっていうか。
(今、こうして読み返してみると失礼だったな〜。ちゃぶ台ひっくり返されても何も言えないくらい、失礼。勝手な想像だけど、共子さんやお兄さんは私たちが思うよりもっと深く、繰り返しいろいろな思いを考え巡らせてここでお店を続けてきたに違いない。)

だけど共子さんはサラッとこう言った。

共:それね、よく言われるよ。そうだな〜それは、おじいちゃんの代から脈々と続く、ここに越してきた、ここで商売を続けてきた、この場所を大切にする…「ここでやっていく」っていう気持ちがすごくあると思う。

な:すごいな〜。自分で場所を決めて始めたなら「ここでやっていくんだ!」という強い気持ちが生まれるかもと思うけど、創業当時のおじいさんの意思を受け継ぎ、この場所を守っていることがすごいです。

共:小さい頃からおじいちゃんおばあちゃんと一緒に住んで、昔の話いろいろ話聞いていたからね。「リアカーであそこから家具を運んだんよ」とか。なかまちで始めて、紆余曲折ありながらもここでこうやって頑張ってきたという思いが根付いているんだよね。
確かに立地や人通りでいったら、他のところでもいいのかな、というのを全然考えなかった訳じゃないよ。でも、ここでやってきてよかったなって思うよ。

な:めちゃくちゃいいですね。

共:そうかな?へへへ。

な:うん、めちゃくちゃいいです。しかもそんな意思があるのに、表からは不思議なくらいその意思が見えないのがすごくいい。オシャレで素敵でただただ輝いている空間だから。おじいさんから受け継いだものを「守らなきゃいけないんで」っていう負担みたいなものが全然見えない。

温かみのある店内で、洗練された家具や日用品、キラキラと輝く雑貨たち

共:本当にね、他にもいい場所あるかもと思わない訳じゃないんだよ。でもすごく条件にぴったりの場所見つけてそっちに行ったらおじいちゃんからなんて言われるか。笑
おじいちゃんおばあちゃんと親の思い入れが本当に強いから。

な:それが嫌だと思う時期もあったんじゃないですか?なんとなく、「このままここでずっと?」みたいな。

共:あったあった。高校までは実家にいてそんなこと思わなかったけど、大学進学で東京に出てからは都会が楽しいし、将来考えたら帰ろうとは思わなかったな〜。大学卒業後も都会で働いて、このまま都会で生きていくんだな〜って思っていたよ。

な:でも30代迎えて、挫折というか、行き詰まってきて?そこにお母さんからの提案だったんですね。

共:そうそう。帰ってくるか本当に迷ったけどね。

な:30代、迷いますよね!(なかむら、現在33歳)
先ほども話にあがりましたが、すべての30代女性が誰でも急にライフスタイルショップをできるとは思えないのですが、共子さんは元から雑貨が好きだったとかあるんですか?

共:小・中学生の頃から雑貨や文房具が好きで、この辺の雑貨屋さんは制覇していたね。
おじいちゃんに「お小遣いちょうだ〜い」とおねだりしては「あんたはいっつもこちゃこちゃしたもんばっかり買って来て!」と母に言われながら。
ユキ玩具店内のファンシーショップ、トムトムバーガーの近くには木馬っていうお店もあって。あとはヤマムラ文具さんも昔は可愛いものいっぱいあって、船頭町の望月文具店さんも文具好きにはたまらなかったですね~!とにかく暇さえあれば入り浸り…。笑


中学生くらいからは雑貨カタログっていう雑誌があって、それに通販コーナーがあったの。それでお取り寄せしてたりもしたな〜。

な:そのくらいの子たちって少なからず雑貨とか文具とか好きだけど、さすがに取り寄せてまで集めてる子は少なかったんじゃないですか?

共:そうねー、クラスに1人2人いるかどうかって感じだったんじゃないかな〜。

な:その頃から、もう群を抜いて雑貨好きだったんですね。

共:もちろん、趣味や流行りによって好みも変わってりするけど、基本は雑貨好きだね〜

な:自分で雑貨屋さんしようと思ったことはなかったんですか?

共:母から言われるまではなかったと思う。
東京いた時に、アパレルの仕事に就いていたけど、このまま続けるかどうしようかな、と迷って。そんな時にカフェしようかと思い始めていたの。物件探しに行ったりもしてて、その頃は下北沢に友人が多かったから友人たちの後押しもあったりして。
佐伯に帰るなんて思っていなかったから結構本腰入れてやろうとしていたのよ。
そんな時に故郷の母からライフスタイルショップの話がきて、すごく迷った〜!このまま東京で進んでいくこともできるし、でもライフスタイルショップも面白そう…!って。

な:本当に分かれ道のギリギリのところに立っている状態で決めたんですね。

共:そうね〜。でもその当時バイトしていた飲食店の店主に「飲食は向いていない」と言われたのをすごく覚えてる。笑

な:じゃあやっぱりこっちだったんでしょうね。笑

カフェで働く姿なんて想像できないくらい、La vie douceと一体化している共子さん。



最後に、このなかまち商店街や佐伯の中心市街地がどうなって欲しいという思いや考えはありますか?

共:佐伯の中心部の象徴と、かつて呼ばれたもの(バスターミナルや寿屋 etc…)がどんどんなくなっていくのがすごく寂しいねって主人と話していたの。でも、ものはなくなってしまっても思い出がなくなってしまった訳じゃないからそんな気持ちを持って、みんなそれぞれ活かして欲しいって思う。「なくなっちゃったね、寂しいね、時代の変化だから仕方がないね」で終わりではなく、その気持ちを持ったままできることがあると思うんだ。
今あるものや気持ちを大切にして、それを活かせる方法が見つかった時に何かが、がちっとはまってできたらいいなって思う。

な:そうですね。単純に「空き物件があったからやる」というのもいいけれど、共子さんのように「おじいちゃんから受け継いだもの」とか「小さな頃の思い出」をもっと大事にして何かをしていい気がしますね。少なくとも、佐伯の中心市街地に対しては、みんなその気持ちを多かれ少なかれ持っているのを感じるから。

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佐伯で「なかまち」と言うと、ノスタルジーの対象もしくはいつ来るのかわからない妄想的要素の多い将来の地域活性化の対象としている気がする(私も含め)。活性化の話で盛り上がるのも大切なことだとは思う。

だけれど過去でも未来でもなく、今こうしてなかまちで生業を続け、好きなことを貫き、『梅田家具店』『La vie douce』を存続させ、何より楽しんでいる兄妹に町(私も含め)は、もっと敬意を表すべきだと思った。

「今」「ここで」していることが地域の中で、最強だと思う。

【手紙舎フェア+kata kata展】  
日時:2021年10月22日(金)~31日(日) 10日間 
会場:Zakka店 La vie douce(ラヴィドゥース)にて
 手紙舎+kata kataさんのフェアと展示販売

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