さいき子ども市民ミュージカルが企画制作した自主映画『僕とムーサの物語 THE MOVIE』は、監督と撮影、あと数人のキャストを除く全ての出演者、スタッフを劇団の子供たちが務めた。助監督兼カメラアシスタントとして、撮影部の屋台骨となった当時の団長・三輪有沙が制作現場を振り返る。
スクリーンには映らない話
2021年の10月30日、佐伯城山さくらホールである映画が上映されました。
『僕とムーサの物語 The movie』
私は、役者ではなく、スクリーンには映らない所でこの映画に関わっていました。
大きなスクリーンに映し出された映像には、美しい自然と私の大好きな仲間たちの姿が映っていました。気付いたら私の頭の中には、この映画を撮影していた時の光景が蘇っていたのです。
撮影は主に城山で行われた
私は、1期生の時から佐伯市子どもミュージカルに参加していました。1期生の時は小学三年生で、7期の中学3年生になるまで続けました。
元々このミュージカルに入ることになったのは、お母さんから「これどう?」と誘われたからです。当時は、今よりも強い人の意見に流されることが多かったので、そんな自分がこうやって映画の裏方をしたり、団長まで任せてもらえたのは、きっとこのミュージカルで自分自身が大きく成長出来たからだと思っています。
中学三年生までは舞台に立って人前に出ていたのですが、舞台に関わっていく内に、舞台の裏の手伝いや先生達のサポートをすることが多くなっていきました。次第に、人前に出るよりも裏で動くことの方が楽しくなり、ミュージカルに出ているみんなのことを支えたいと思うようになっていったのです。
だから高校生になってからは、サポーターとして練習のお手伝いをしている。この映画も最初から出るつもりはなかったけど、スタッフとして役者のみんなの事を全力で支えることが出来たと自負しています。
撮影現場での三輪
上映された時、私が1番初めに思ったことは「あんなに時間をかけて撮ったのに、こんな一瞬しか使われないのか。」という驚きでした。
この映画は2021年の3月と、ゴールデンウィークの2回に分けて撮影されました。映画館で流れる映画はもっと時間をかけるらしいのだけど、私からしたらこの撮影も長期間でかなり大変でした。高校生の自分でも長時間の撮影は疲労が溜まったのに、役を演じた小中学生のみんなは山の上での撮影でも疲れた顔を見せずにいたので感心したのを覚えています。
私からすると、それだけ撮影が大変だったのにも関わらず、本編で使われるシーンは一瞬一瞬を切り取っていて、撮ったはずのシーンが使われていなかったりしていた。初めて映画撮影の裏側を手伝う私にとっては、かなり衝撃的な事でした。
監督の指示を仰ぐ子どもたち
この「僕とムーサの物語」は、子どもミュージカル1期生の「百年の森~ぼくらと城山~」という作品を元にしたものです。私は1期生から参加していたので、その舞台にも出演していました。
私はこの舞台が大好きでした。
映画は実際の城山で撮影したので、舞台で演じるよりも後ろの風景や雰囲気がとてもリアルで、まるで本当にムーサが存在しているのかも、と思わせてくれた。主人公の守や、その仲間たち、鳥たち、そして悪役のカラス、みんなが1人1人輝いていて、こんなカッコイイみんなが私の仲間であることがとても嬉しく思えました。
私は、3月に大分市のグランシアタで上演する「タカラとワカ~海を越える軌跡~」に、久し振りに演者として出演します。その舞台を最後に、演者は卒業して、これからはサポーターとしてずっとみんなを支えようかな、と考えています。
私自身がこれからどうするのか、というのはしっかりは決めていないけど、私が好きな舞台や芸能を仕事にすることが出来れば、それほど嬉しいことは無いと思う。そのためにはやっぱり勉強も必要だし(やりたくないけど)、もっと舞台や芸能に対する「好き」を深めていきたい。
今回の映画撮影は、そんな私にとって、とても良い経験になりました。
長々と書いてしまいましたが、ここまで読んでくれた人は、ぜひYouTubeに載っているこの映画のメイキングを見て欲しいです。私も何かと映っています。
そして、これからもこの作品は残り続けます。
また何処かで必ず上映する機会があると思う。
その時は、見に来てくれたら嬉しいです。
三輪有沙:佐伯市在住の高校一年生。さいき子ども市民ミュージカル1期生。『僕とムーサの物語 THE MOVIE』撮影時は同劇団の団長も務め、撮影部として奔走した。現在も学外活動に精力的に参加している。