熱狂的牡蠣信者たちが目指す場所-2

牡蠣養殖と聞いて大分県佐伯市を思い浮かべる人はよほどのカキフリーク。一般的な認知度で言えば「宮城」「広島」が一大産地であり、佐伯市が「牡蠣のメッカですよ」と言われてもにわかには信じがたい。それでも一部の猛烈な牡蠣マニアたちがここ数年、佐伯に足しげく通う。牡蠣の一大産地として急成長を遂げるその背景には市街地から数キロ離れた離島での取り組みが関係していた。

宮本新一、男。1978年6月生まれ。

大入島に熱狂的カキフリークたちが集まるのは、この男がいるからと言っても過言ではない。一見、朴訥としておとなしそうな印象の大柄男性だが、牡蠣のことになると堰を切ったかのように思いや理想、現状の養殖システムの改善点を熱く語り始める。宮本氏の牡蠣への情熱を聞くたびに国内でもまだ導入事例の少ない「フリップファームシステム」と呼ばれるニュージーランド発の先鋭的な牡蠣養殖の方式を国内に導入したのもうなずける。一気呵成に設備投資を行い、わずか数ヵ月のうちにフリップファームシステムを確立させた宮本氏の人生背景には、この方法にたどり着くまでの紆余曲折があった。

高校時代に遡ると、野球推薦で進学した高校では、肘を故障し思うような結果が得られず夢半ばの野球人生が幕を閉じた。その後は福岡にある専門学校へ進学。卒業するも自分のやりたいこととのギャップを感じ違う道を模索。その後は長崎や別府などで職を繋ぎ生活をしていたが、結婚を決意する際に「海に携わる仕事がしたい」「海での仕事が自分らしいんじゃないか」と一念発起。幼いころから育った大入島、佐伯に戻り漁師としての人生をスタートさせる。

ブリ、カンパチ、ふぐ、メバルなど様々な魚種の養殖に携わりながら、素潜り漁なども行っていた。そんな中、県の担当者から貝類の養殖を進められたことをきっかけに牡蠣を育て始めたのが現在に繋がっていく。

宮本氏曰く「大入島の湾で大規模な赤潮が発生した時があった。ほとんどの魚介類が死滅していく中で牡蠣だけは生き残っていた。その時にふと感じたんです。大入島は牡蠣の生育に適した場所じゃないんかなって」。当時の宮本氏が知っていたかは分からないが、大入島の面する大入島湾はかつて二枚貝の養殖が盛んなエリアであった。対岸に位置する上浦エリアでは現在も真珠養殖がおこなわれているし、第二次世界大戦時に佐伯に駐屯した上官が「佐伯の牡蠣はうまい」と言った史実も残されている。

紆余曲折の人生のど真ん中で宮本氏は悩みに悩んだに違いない。このまま漁師をやっていけるのか?子どもたちに未来はあるか?毎年50人近い人口が減少を続ける大入島の未来を見つめると、そこはかとない不安に駆られる日々だったと思う。ただ、人生とは小説より奇なり。

旧来の主流だった牡蠣養殖システムへの投資を決めるほんの数日前にひょんなことから「フリップファームシステム」の存在を知らされる。ある種、神の啓示とも言うべきタイミングで日本初の養殖技術と出会い、今がある。

「繋ぎ続けた点が過去を振り返って初めて線になっていることに気が付く」と説いたのはかの有名なスティーブ・ジョブスだが宮本氏の半生を振り返った時、ジョブスの声が聞こえる。

「connecting the dots」

ようやくタイトルの由来を言おうと思う - LIFE IS CONNECTING THE DOTS

ジョブスも人生の紆余曲折を経てAppleを世界最大のコンピューター会社へと育て上げた。自分が作った会社から追い出されたこともあったが、それでも点を打ち続けた先に栄光が待っていた。牡蠣養殖という世界で点を繋ぎ続ける宮本氏はいったいどこまで私たちカキフリークたちを熱狂させてくれるのだろうか。

宮本氏が描くオイスタージャーニーはまだ始まったばかりだ。

合同会社新栄丸
代表社員 宮本 新一
大分県佐伯市大字片神浦376-2
https://www.shinei-maru.com
大入島オイスター/OONYUJIMAOYSTER

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