『月刊魔界』創刊に寄せて

『魔界フェス』というイベントを始めてもう6年になる。

ただの思いつき、妄想から始まったイベントは、知名度こそあまりないもののコアで物好きなファン(変態と言ってもいい)たちに面白がってもらえるようになり、愛されるようになった。

そんな魔界フェスを毎年ただ積み重ね行くのもいいのだけど、一度復習の意味も兼ねて何かの形にまとめたいと思っていた。

そこで、『月刊魔界』を創刊することにした。(月刊ではない)

作ろうと思った理由は色々あるのだが、まず一つ目は『魔界フェス』をもっとたくさんの人に知ってほしいと思ったから。

最初は「参加者がいなくても、一人でもやります」という気持ちでなかばやけくそ気味に始めた魔界フェスだが、今ではたくさんの人が参加してくれるようになり、もはや自分一人の力ではなく、参加者も出演者もお客さんもみんなの力で作り上げるフェスになった。『全員野球』ならぬ『全員魔界フェス』である。

ただ、魔界フェスに来たくても空港から1時間半もかかる場所にある佐伯市に県外から簡単に来れるものではない。SNS等で「行きたいけど行けない」という人たちがたくさんいてくれているのも知っていた。魔界フェスにどうしても来れない人にも魔界フェスを味わってほしい、そして魔界フェスにいつも参加してくれる人にとっては思い出のアルバムになるように、と思った。

二つ目は、ディナーショー出演者に関することである。

魔界フェスではイベントを企画するものとしてディナーショー出演者を選んで決めていかなければならない。毎回限られた枠を「誰がいいだろうか」と頭を悩ませているのである。そうして悩みに悩んでオファーした出演者のみなさんは魔界フェスを楽しんでくれて、最高のパフォーマンスをしてくれる。また来年も来てほしい!ともちろん思う。

しかし、ここで非常に悩ましいのが、イベントは毎年同じ出演者のみを出すわけにもいかないのである。元からそういうコンセプトであれば同じ出演者で毎年やればいいのだが、魔界フェスはそうではない。3〜4組の枠に新しい出演者を入れると、必然的に誰かはそこから外れるのである。当たり前だ。当たり前だが、ここが一番納得いかない。できれば毎年一組ずつ増えていくみたいなことしたい。けどお金がない。魔界フェスが恋して誘った出演者が魔界フェスを好きになってくれた、せっかく両思いになれたのに泣く泣く出演依頼ができないというのがとても辛かった。

みなさんも遠距離の人とせっかく両思いになったのに初めてのクリスマスを一緒に過ごせなかったらとても辛いでしょ?そういうことだ。

だから、出演依頼はできなくても、出演してくれたみなさんに何らかの形でまた魔界フェスに関わって欲しかったという思いというか私のわがままから、『月刊魔界』への寄稿を依頼した。みなさん快く受けてくださり、おかげで素晴らしいページができた。

そして、3つ目。

私はいまだに「魔界フェスとは何なのか」という質問に上手に答えられないでいる。

何がしたいのか。何のためにやっているのか。どこに向かっているのか。主催者の私には一切わからないのである。だから今までやってきたことを振り返って「結局魔界フェスって○○だったんだな」ということを知りたかったのだ。結局それの答えは出て、編集後記の中に記したのだけど、言わば魔界フェスを”見える化”(笑)してその答えを知りたいと思ったからだ。

ということで、まぁ長々書いて言いたいことは「月刊魔界、頑張って作ったから読んでね。そして来年の魔界フェスに来てね」ということだ。

最後に、月刊魔界の内容を少しだけチラ見せ。

記念すべき第1回目の魔界フェスの記事をご覧いただきたい。


「魔界フェス2016〜伝説はここから始まった。」

平成28年11月26日。

「魔界フェス第1回目は伝説である。」魔界フェスの昔を知る者は皆口を揃えてこう言う。この伝説の目撃者は昼と夜合わせて12名。ずっと7名と思ってSNSでそう伝えていたが、改めて数えると12名もいた。倍。いきなりこんなんですみません。まぁこれもらしさってことで勘弁してください。それでは、朧げな記憶から引っ張り出せるだけ引っ張り出して当日の様子を記していこうと思う。

秋も深くなってきた11月26日の午後。曇天により少し肌寒さを感じる中、昼の部の会場である住吉神社内の公園には、女装したゾンビ、芸人の「鉄拳」みたいなメイクの人、真っ青な顔の人などの変な人達が集まっていた。総勢9名。それぞれ思い思いのポーズをとっており、微妙な距離を保ちながら開始の刻をまっていた。「これは悪い意味でヤバいフェスになるぞ」と直感した。

開会式前の参加者たち

開会式前に早速壁が立ちはだかった。まずはゾンビチームと悪魔チームにチーム分けをしなければないのだが、ゾンビなのか悪魔なのかわからない者ばかりだったのである。さらにその両者どちらでもない者も混じっている。一旦困ってみたものの、もうその辺は適当に振り分けた。

いよいよ伝説の幕開けである。魔界フェスは開始された。

カシミールナポレオンK(以下K)の「スポーツマ……デビルマンシップに乗っ取り正々堂々戦うことを誓います」という素晴らしい選手宣誓の後競技開始。

カシナポKの選手宣誓

第一種目目は、ゾンビ歩きで速さよりもゾンビらしさを競う「ゾンビかけっこ」。スピードだけではなく自分の中にあるゾンビらしさをきちんと表現できているかも採点に加味されるこの競技では、皆がそれぞれのゾンビらしさを十二分に発揮できていた。中にはレース中に相手の足を引っ張り合い、服を引っ張り合いしたためにジーパンが脱げお尻が丸見えになってしまった者もいた。一生懸命に一歩一歩進んでいく皆の姿を見ていると感極まると共に「ナンバーワンにならなくていい、もともと特別なオンリーワン」というフレーズが頭に浮かんだ。そうだ、俺たちはいつだってオンリーワンなんだ。こんなダメな大人でも、みんなみんな生きているんだ、友達なんだと思ったら勝ち負けなんかつけられなかった。引き分け。

この直後、見学していた一人の青年が「僕も参加させてください!」と白塗りをして飛び入りしてくれた。名前は河野くんと言う。「楽しそうなので一緒にやりたかったんです」と言ってくれていたが、本当は余りの盛り上がって無さに気の毒過ぎて、自分の身を犠牲にしてでも盛り上げようとしてくれた心の優しすぎる青年だったのだと思う。ありがとう河野くん。

1名をゾンビチームに追加して第二種目の「悪魔融合」。これはチーム全員の足を悪魔的に融合させてその走りにくい状態で走ってタイムを競うという恐ろしい競技で、いわゆる2人3脚だ。ゾンビチームが劇的に遅くて悪魔チームが普通に速かったので悪魔チームの勝ちとなった。

悪魔融合の様子

第三種目、組体操「魔界のポーズ」。当時の競技説明にはこう書いてある。『悪魔とゾンビそれぞれ1チーム2〜4名で挑んでもらいます。①くじをひきます。②くじにテーマが書かれています(例:「少女に宿りし悪霊」や「蘇って二週間経って逆に腐りかけのゾンビ」など)③そのテーマに沿ったポーズをチームで考えます。③整列して、「だん、だん、だん、だん、だだん!」の太鼓の合図のもと、そのテーマのポーズをとります。④笑いと芸術性とアドリブ力で点数をつけます。⑤総合的に順位を決めます。』

ゾンビチームの『海開き』
悪魔チームの『青春』

ゾンビチームが『海開き』、悪魔チームが『青春』というテーマでポーズをとった。特に笑いは起きなかったし芸術性も感じなかったし、アドリブというアドリブもなかった。主催者のお題の出し方も悪かったし、なんだか反省しかない後味の悪い競技となった。すみませんでした。と思っていたが数日後に写真を見返すとなんだか笑いが込み上げてきた。写真だと客観的に見れるから面白いのだろう。なるほどね。

さて、話を戻してここでしばしの小休憩。各自水分補給の後、熱った体をクールダウンさせるため、全員でラジカセの前に体育座りをして稲川淳二の怖い話の中で一番怖くない話を聞いた。今も全然思い出せないくらい怖くも何ともない話で、こういうのを『無駄な時間』って言うのだなと思った。

小休憩中、稲川淳二の怖(くな)い話を聞く悪魔たち

第四種目目はフルーツバスケット『お前も蝋人形にしてやろうか』である。この競技は名作と言っても過言ではない。NIRVANA『NEVER MIND』くらいの名作だと思っている。段ボール製の恐怖の淵を椅子に見立てて、聖飢魔IIの『お前も蝋人形にしてやろうか』を流している間、恐怖の淵の周りをゾンビ歩きでぐるぐる歩き、曲が止まったところで恐怖の淵に飛び乗ったものが勝ち、乗れなかったものは地獄に落ちるというものである。察しの良い方ならお気付きかと思うが、これはフルーツバスケットではなくイス取りゲームである。主催者の教養のなさが露呈した瞬間でもあった。それは良いとして、競技は大盛り上がり、一人、また一人と地獄に落ちていく中、決勝に残ったのはKと女装ゾンビ山岡。決勝とあり曲がなかなか止まらない。あまりにぐるぐる回り過ぎたのか二人ともふらふらと恐怖の淵から遠ざかっていってしまうではないか。最終的には木に登ったり、水道の水を出したり止めたり、トイレに入ってみたりとしていたが、やっと曲が止まった。単純に恐怖の淵に近いところにいたKの勝利となった。

「お前も蝋人形にしてやろうか!」デーモン閣下の声が神社に響いた

いよいよ最終種目。スプーンの上にピンポン球を乗せてリレー「目玉の運び屋」。

これは普通に盛り上がった。最後の最後、非常に接戦でどちらの勝ちか判断がつかなかったため、もう一回最後のところをゆっくり再現してもらう、なんちゃってVTR判定を行ったところ、なんと悪魔チームが乳首の差で先にゴール!

ということで「ゾンビvs悪魔!大運動会」の勝者は悪魔チーム!

目玉の運び屋(スプーンリレー)の様子

ところが最後に参加者から「悪魔融合をもう一回やりたい」と熱烈なアンコールが沸き起こった。よし、もうチーム関係なく全員でやろう!ということで8人9脚で100m先のジョイフルを目指すことになった。いざ開始。全然進まない…。一人一人が前を向くと幅が広すぎるため横向きに進んでいくことになったが、これが芋虫の蠕動運動のようにちょっとずつしか進まない。「痛い!痛い!」「これ無理じゃね?」「股が裂ける」等の声が聞かれ始めグダグダグダグダグダグダグダグダなってきたので3mくらい進んで強制終了。こうして魔界フェス2016昼の部は幕を下ろした。

アンコールの『悪魔融合』

振り返ってみると、道路に面した公園で行ったため常に人の目が気になり、恥ずかしい気持ちしかなかったこと、我々を見て公園で遊ぶことを断念し帰った親子数組に大変申し訳ない気持ちでいっぱいであった反面、なんだかクセになっちゃったという感じが芽生え始めていた。何のクレームも入れずに見守ってくれた地域の方々に感謝し、昼の部を終了した。

そしていよいよ待ちに待った夜の部、ディナーショーである。昼の部なんてディナーショーのお飾りにすぎない。このディナーショーこそが主催者がやりたかったことであり、魔界フェスのメインディッシュなのである。

カシナポKのディナーショー

会場となる「slow café 茶蔵」のオーナー染矢さんが魔界フェスの日のために「魔界カレー」を作って提供してくれてとても嬉しかった。しっかり辛くてしっかり美味しいカレーだった。初めて魔界フェスをやらせてくださいと染矢さんにお願いに行った日の「こいつは何を言っとるんだ」という顔は忘れられないが、楽しんでくれているようで安心した。

この日はカシミールナポレオンのギターhakuは来ることはできなかったが、Kのライブは圧巻であった。会場内に席の余裕があるのに外で立ち見が出るほどだった。大好きなゴッドタクシー、ヘルロケンロー等往年のカシナポナンバーを生で聴くことができたのは感動以外の何者でもなかった。人数こそ少なかったけれど、佐伯でカシナポのライブができたということが、もっとたくさんの人にカシナポを観て欲しい、来年も魔界フェスをやるべきだという思いにつながっていった。

ディナーショー終了後、念願の白塗りしたままの打ち上げもできて、夢のような1日が終わった。

結局、朝から深夜まで全員白塗りだったためお互いの素顔を一度も見なかったが、それよりも強い絆で我々は結ばれたのだった。

(終わり)

伝説の『魔界フェス2016』のフライヤー

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