300メートルの間に100軒近くのスナックが立ち並ぶ「新町通り」の今

大分県佐伯市のスナック街「新町通り」

「スナック」は日本独自の文化だが、これにはそれなりの理由がある。文字通り「軽食=snack」に由来するものの、その成り立ちには1964年の東京五輪が大きく関係している。当時、多くの外国人が来日することを想定した政府は、風俗営業の取締りを強化した。アルコールの提供をするバーなどが、深夜遅くまで営業できないよう法律を改正したのだ。それに対して経営者らは、形式上「お酒だけではなく、軽食(=スナック)も提供している飲食店」という業務形態にすることで自分たちの仕事を守ろうとした。「スナック」の呼称は、こうして生まれたという。

奇しくも2度目の東京五輪を前にして、夜間営業を主とする飲食店は又も苦境に立たされている。他に違わず大分県佐伯市の飲食店も、県からの要請により約1ヶ月に及ぶ21時以降の休業を余儀なくされた。わずか300メートルに100軒近くのスナックが点在する「新町通り」も、ネオンの消えた日々が続いた。

遡ること1年前、最初の緊急事態宣言が出た際は、殆どの経営者が「このままでは保たない」と口を揃えた。しかし幾つかの困難を乗り越えて、その多くが今でも変わることなく営業を続けているように見える。まもなく東京五輪が開催され、その後のコロナを取り巻く状況がどういった展開を迎えるのかは知る由もないが、何にせよ半世紀前の経営者たちが自ら状況を打開する術を導き出したように、どう転んでも諦めずに模索し続けるしかないだろう。これは、決して当事者だけの問題ではない。

6月14日、要請期間が明けて久し振りに灯がついた新町通りは、やはり美しかった。この町の夜には、新町通りのネオンがなくてはならない。

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