歌い出すアルバム vol.1

大分県佐伯市産ロックンロールバンド「サイキシミン」のボーカルギター、大谷慎之介が自身が書いた歌詞をインスピレーションに、写真で切り取り物語を紡いでゆく歌詞×写真×短編物語。

その名も「歌い出すアルバム」。の第1回目。

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 三日前に女房が死んだ。

 突然だった。享年七十歳。死ぬにはまだ早すぎる年齢だが、人間にはそれぞれに死期というものが振り当てられており、女房にもその人生の期限が来ただけの話だ。とりわけ数年前から呆けてしまっていたので、そのせいで少しばかり終わりが早まったのかもしれない。

 女房はニ年前から施設で生活していた。長いこと二人で暮らしていたが、食べたものどころか、夫の顔も自分の家すらもわからない呆け老人に成り果ててしまい、とうとう限界が来てしまったところ、役場の担当の青年が気にかけてくれて施設に入れてくれたのだ。

 施設での面会は週に一回、車で片道二十分かけて一週間分の洗濯物を受け取りに行く程度だったが、“感染症対策”とか何とかでここ一年は面会もろくにできなかった。時々電話をすることはあったが、何もかも忘れ果てた人間は話が通じないことがほとんどで余計に疲れるだけだった。何日か前も電話の途中から話が噛み合わなくなったので「明日行くから」と半ば強引に電話を切った。とは言ったものの、いつものことだと思い面会には行かなかったので、結局あの電話が最期の会話になってしまった。

 俺はだめな夫だった。つまらないことに大金を使い困らせたり、酒を飲んでは小さなことで怒鳴りつけて、家を追い出したりもした。俺が追い出した度に女房は実家に帰っていたので、俺は義父や義母から嫌われていた。葬儀には義兄たちも来ていた。誰が誰なのか、もうほとんど覚えていない。義兄たちとは少しばかり会釈した程度で目は合わさなかった。合わさなかったというよりも、「お前が殺したんだ」と言われそうな気がして目を見れなかったのが本音だ。

 だめな夫とは反対に、女房はとても良い人間だった。面に出すことはないが、深い愛情と懐を持っていた。俺がどんなに怒鳴り散らそうと、どんなに無駄遣いをしようと、酒に溺れて夜遅くに帰ろうと最後には笑って許してくれた。大昔に一度だけ浮気をしたことがあるのだが、それはずっと隠し通していた。もしもそのことを白状していたならば、許してもらえたのだろうか。それとも怒られ、呆れられ、縁を切られていただろうか。今となっては答え合わせができなくなってしまったが、きっと女房は全てを知っていたのではないかと今になって思う。

 昨日の葬式に来てくれた施設の職員が言っていた話を思い出していた。

 「奥さんね、お亡くなりになる前の日、おやつで大好物のおはぎが出たんですよ。なのに珍しく食べずにお部屋に持って帰りたいなんていうもんだから、どうしたの?って聞いたんです。そしたら『今日主人が来てくれるから、食べさせてあげたいの。ここのおはぎ、美味しいから』って。」

 女房の大好物はおはぎなんかではない。おはぎは俺の昔からの大好物だ。もしかしたら早く電話を切りたくて適当に言った俺の「明日行くから」という言葉を覚えていて、おはぎを俺に食べさせようと待っててくれたのだろうか。今となってはわからないが、その話には続きがあった。

 女房は俺のために残したというおはぎを、いつのまにか自分で食べていたらしい。さすが俺の顔がわからなくなるくらい呆けていただけある。その話を思い出して、大して面白くもないのに一人で大笑いしてしまった。

 不思議なもので大笑いしたら何もかもどうでも良くなってきて、何故かわからないが珍しく歌でも歌いたい気分になった。マイクの代わりになりそうな線香の束を握りしめ、でたらめな歌に思いつく限りの言葉を乗せて歌った。体中から汁という汁を垂れ流しながら、大声を張り上げて何度も何度も歌い続けた。

 手に持った線香がぐっしょりと湿りきった頃、窓の外では真っ暗な夜が明けようとしていた。

「やさしさ」   作詞・作曲:大谷慎之介

 どうにもならないことが落ちてきて

 真っ暗闇な世の中となった

 君はと言えば電球点けて

 そんなこと位余興の一つさ

 君はいつも本当のことを言わないから

 君がいつか本当のことを言わないかな

 どうしようもない奴の行く末を

 三歩後ろで見守りしている

 君の両眼に奴はどう映る?

 嘘の話を君は知っている

 君はいつも本当のことを言わないから

 君がいつか本当のことを言わないかな

 やさしさなんてそこら中に転がっている

 やさしさは奴の足元に転がっている

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