番匠川の流れにみる。

人生の豊かさとは何だろう。経済的な豊かさなのか。季節を感じながら、人間らしく過ごすことなのか ――。清流「番匠川」は生きている。佐伯の中央で生きている。いつからか、いつまでか。佐伯で生まれた楽曲「さざめき」を聴きながら、大河の流れに思いを馳せる。

「さざめき」

川の水は絶えることなく、流れながれて、今日も、あしたもそこにある。

けれども、水は、もとの水の中にはあらず。

佐伯のまんなか根を張るように、流れ続ける「番匠川」。何万年も誰かがきっと眺めてたろう。

幾年月過ぎても流れつづけて、まだ居ぬ誰かが眺めるだろう。

百年先も、二百年先も。

ひとのいのちも、また自然の一部か。忘れてしまうことばかりも、水に流してしまおうか。

同じ毎日は、同じではないことを。

川の中、二本の足で立ってみれば、流れのつよさに気づかされる。

そこには、ずっと留まれない。

そんな抵抗を感じずに、生きているのはぼくたちが、

過ぎてく流れに逆わず、生きていかざるを得ぬためか。

きらきら光って、さらさらと音を立てて、人生は過ぎていく。

父母は元気で暮らしているか。祖母は今、何をしているか。

あと何度、同じ時間を過ごせるだろうか。

そんなことを思い、思い浮かべるのは、こころの川の上。

川はやがて太くなる。

太くなるほど、進路はそっとじゃ変えられない。

大河の岸辺、船くらい大きなものになってるだろうか。

川面は景色を変えながら、やがて海へと近づいてく。

海は深い。深さに耐えてゆけるだろうか。

海は広い。どこかでいつかまた会えるだろうか。

written by 大野達也:千葉県出身。2015年11月、大分県佐伯市に移住。

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