サイキシミン『街』について、作者・大谷の回録

サイキシミンの代表曲『街』は、生まれ育った土地に対する愛憎入り混じった心情を包み隠さずに吐露する歌詞が、大谷の真っ直ぐなシャウトによって、空虚に、しかし力強く鳴り響く傑作だ。全国どこの田舎町にも通ずるだろう核心を射抜いたこの曲は、どういう経緯で生まれたのか。作者の大谷が初めてこの歌に込められた想いを公にする。

『街』が出来るまでと、その後…

 自分という人間の心の奥底を覗いてみると、人並みのやさしさやあたたかさを持ち合わせているとは思うが、人並み以上に妬みや嫉妬、虚栄などが渦巻いているように思う。
 そんな気持ちが生まれるのは自分にそのドロドロとした気持ちを消し去るほどの何かを持ち合わせていないからで、それを隠すために輝いている人を妬み、楽しんでいる人を見下し、そんなしょうもない方法で自分を保っていたのだと思う。
 自分の無力さに気づいていながらも、「俺には何かある、俺は絶対に面白い人間だ。AB型だし。」という訳のわからない根拠でポジティブになっていたが、何でもない人間であることに間違いはなかった。

 2014年8月、長らく遠ざかっていたバンドを始めた。現サイキシミンドラマーのひかるくんに声をかけてもらった。二人組の「佐伯市民」というバンドだ。アコースティック楽器でロックンロールをやろうと思っていた。面白いバンドだったと思う。今は四人組になり「サイキシミン」になった。再び「バンドマン」になったことで、音楽がアイデンティティの一つだった自分にとっては、ものすごい高揚感、自己肯定感があった。

 2016年11月、魔界フェスを初めて開催した。SNSを通じて入ってくる魔界フェスへの評価が思った通り、「アホすぎてすごい」「面白すぎる」みたいなもので、そんなイベントを考えついた自分を褒めてあげた。お客さんは7人だったけど。

 バンドを始めた。魔界フェスを始めた。友人たちは褒めてくれて、自分も嬉しかった。
 でもいつも何かに不満を感じていた。何でなんだろう。

 ある夜、昔のことを色々と思い出していた。

 大学時代の女とやることしか頭にないうるせえ陽キャども、音楽なんて一つも知りもしないのに「音楽大好き!」と音楽をファッションにしていた奴ら、居酒屋で見たギター弾けることを延々と女に自慢していたリストバンドのクソださ男、うわべの流行り物で盛り上がる浅い人間たち、そしてそんな場面に出くわした度に「佐伯を出ていきたい」と思った自分と、結局出て行かずにここで暮らし続けている自分。
 自分の中のドロドロとした気持ちが溢れてきてどうしようもなくなった。そして、それを全部「こんな街大嫌いだ」と街のせいにした。街のせいにして、溢れる気持ちをなぐり書きにした。

 そして2016年12月4日、「街」ができた。
 めちゃくちゃでかくて硬いうんこが出たみたいに、驚くほどすっきりした。

 それからライブで演奏し始めると、極めて個人的で負の要素が強いこの歌を、「いい歌だね」と言ってくれる人がいて最初はとても困惑した。自分だけの感情だったものに、人が共感してくれるのだと。でもそれ以上にとても嬉しかった。
 ひょっとしたらみんなの気持ちの中にも同じようなドロドロがあって、この歌ですっきりできることがあるのかもしれない。もしそうならば、この歌を作れてよかった。

 あれから4年近く経って、何度もこの歌を歌ってきた。相変わらず「この街が大好きだ」とは言えなさそうだが、今なら大学時代のうるせえ陽キャやリストバンドクソださ男とも仲良くなれそうな気がしている。

 そうだ、この歌は実は尊敬するソウルシンガー、Otis Reddingの名曲「That’s how strong my love is」のメロディーに、歌詞を勝手に変えて歌っているいわゆるカバー曲だ。
 原曲は最高な愛の歌なので、その和訳を乗っけてこの話を閉めたいと思う。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
もしも私が太陽ならば 
あなたと何処にでも行けるだろう
太陽が沈んだなら 
月になって現れるさ
まだすぐそばにいることを 
あなたに伝えるためだけに

これが私の愛の全て
これが私の愛の全て
これが私の愛の全て
これが私の愛の全て
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

2020年10月1日
サイキシミン 大谷慎之介

大谷慎之介(https://twitter.com/o__________tani):ロックバンド『サイキシミン』のリーダー、「魔界フェス」主催。現在、2ndアルバムをレコーディング中。

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