津久見市にある「網代島」のプロモーション・ビデオが訴えるもの

2011年、2億4千年前の宇宙塵が発見されたことで、網代島は一躍注目を浴びた。当時の津久見市の動揺は大きかっただろう。廃校に隣接する湾から続くその無人島は、観光資源にもなり得ない、廃校同様の過去の遺産でしかなかった。そんな島が世界的ニュースとして取り上げられたのだ。2020年、大分県がアジア初の宇宙湾構想に着手したことにより、再び網代島は大きく取り上げられることになった。そして翌21年、津久見市は初めて網代島のプロモーション・ビデオを制作するー。

太平洋の中央部で形成されたチャートが、海洋プレートの移動に伴って現在の位置まで迫り上げて出来たのが網代島だ。湾から100メートルほどの近さに位置する、面積200平方メートルの小島である。潮の満ち引きによって島へと渡れる道が開けることから、ある種の神秘性を保ち、地域にとっても親しみやすい島として愛され続けてきた。象徴的な鳥居が建てられていることからも、近隣住民にとってどんな意味を持つ島だったのか想像に容易い。

大正5年、日豊本線の臼杵・佐伯間の開通に伴って、津久見市にも線路が敷かれることになり、鉄道院は網代湾沿いに設置する予定を立てる。が、当時の網代地区は漁村として栄えており、地域住民の強い意思によって、予定よりも内陸側に敷かざるを得なかったという。現在、津久見市街のど真ん中に線路が敷かれているのはその為だ。

当時の住民は、豊漁を祈願して毎年網代島で盛大なお祭りを行っていた。まだ、網代島がただの無人島ではなかった頃の話だ。世界的に希少な宇宙塵が埋まってるとも知らず、地域の象徴として崇めていたのだ。しかし、そのお祭りも昭和初期を最後に途絶えてしまう。今は網代地区が漁村であったことさえも知らない住民が殆どだ。

上記のような歴史的事実は、インターネットには載っていない。殆どの津久見市民も知る由のない史実だ。更に遡れば「小岩さん」という女性を祀ったことで網代島の鳥居は建てられたとするが、それは古文書に残る記述から推測されたものに留まる。同様に、今聞かなければ忘れ去られてしまう事実は多い。既に昭和初期の当時を知る証人は、もう八十歳を越える。

今回、網代島の動画制作を担当した津久見市役所の今山は、「網代島を多角的に紹介するビデオを作りたかった」と語る。「宇宙塵によって網代島は再評価されましたが、津久見市民にとってはそれだけじゃない。歴史的背景も、民俗学的な視点からも今一度認知してほしかった。今やらないと、後世に網代島の事を伝えられないと思った」。

2021年の網代島を記録した『網代島~Ajirojima island~』は、津久見市のyoutubeチャンネルにて配信中だ。網代島の魅力を多角面から語る内容になっている。私たちの近くにある何でもない島や山や海にも、驚くような物語が隠されているかもしれない、という気付きを与えてくれるだろう。

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